【Vol.1】RUNABOUT HEROESって?けんけん氏インタビュー【part 1】

 今、世界的なカーカルチャーの中で、一眼レフというモノは絶大なフィーチャリングをされている。
勿論、世間的にも写真のブームというモノはあるが、カーカルチャー全体で言ってみれば軽いバブルのような状態だ。
ミーティングへ行けばあちらこちらに三脚を片手に歩く人がいる。少し前では考えられなかったような状況が今は起こっている。

そんな中で関西カーカルチャー界の一眼レフ黎明期から写真を撮り続けている人物がいる。
「RUNABOUT HEROES」代表のけんけん氏である。

今回はそんなけんけん氏へのインタビューを3部に分けてお届けしようと思う。

黎明期から撮り続けた彼は何を思い、何を感じているのか。

Part.1ではけんけん氏の今に至るまでのバイオグラフィに焦点を当てた。








2018年9月
待ち合わせ場所へ向かうと、けんけん氏は既に到着していた。
「お疲れっす~」
前日夜も撮影していた彼の顔は疲れていたが、インタビューを快く引き受けてくれた。





「夜な夜な湾口を走り回ってたよね(笑)。」


―――――と言うわけで始まったインタビュー企画ですけども(笑)。そもそも車を好きになったきっかけは?


元々は親父がF1が好きやったねん。その影響で俺も走る車が好きで、生まれたときはセナの時代やったり。セナ亡くなった時の追悼式みたいなのが色んなとこでやってて、阪急百貨店に実際使ってたタイヤとかが展示されてて、見に行った記憶あるもん。


―――――セナ亡くなったのって…。


93年。俺が2歳の時かな。今でも覚えてる。それぐらい衝撃的なことやってん。

ほんで15歳くらい、高校入る前かな。サーキット行くって先輩が言うから一緒について行ったら、今でこそ知ってるけど鈴鹿ツインやって。ほんで俺グリップのレースばっか見てたからさ、例えばグループAとか、JTCCとかさ。せやから「グリップかな?」って思って見に行ったらドリフトやってさ。うわ、ドリフトすげぇなって。

イニシャルDとかでドリフトってどんなもんかざっくりは知ってたけど、生はやっぱり違ったね。

んで機械とか触るの好きやったから、原チャいじったりとかして。でもよくよく考えたら、その頃から原付は下がってたね。俺のだけ唯一(笑)




―――――そしてついに免許を取りに行くと。


そうそう。俺誕生日が3月やから高校の時には免許取りに行かれへんくて、専門の時に取りに行ったんよ。その時のまわりが13のターボとかに乗ってて。シルビアいいなー、シルビア欲しいなーって。その当時13なんか20万ぐらいあれば買えたから、俺は15万で即ドリの180SXを買ってん。屋根白、ボンネット黒。フェンダー赤、バンパー白(笑)。

リアシートないし、助手席揺れてる、クーラー効かへん、ただエンジンはカリッカリ。

それで夜な夜な湾口を走り回ってたよね(笑)。半年くらいで壊れちゃったけど。


―――――それからは?


そのあと半年くらいかな。夜はバイトしてお金稼いで車買うために貯めてて。また180SXとか14、15買うぞって。そしたらある日車屋から連絡来て、「FD入ったけど見に来るか」って。見に行ったら「あ、意外とかっこいいな」って。ウイングもワザとはずしてて。乗ってみようって乗ったらしっくりきて。「あ、欲しいな」って思ってその一週間後に一括で買って。現金でポンって。当時はお金もってたからね(笑)




―――――それを何年乗ってたんですか?


20から22まで。3年かな。その間に色んなミーティングに行ったりして。

ほんで乗り換えて今の車。ホンマはシビック欲しかってん。




―――――それが今はフィットですけど、なんでフィットにされたんですか?


FDの時に人が載らなさすぎて。しかも燃費も悪くて。その時にUSDMっていうのが流行りだして、JDMな感じにもできる、ってなった時にね。EFはタマないなー、EG、EKは高い、ってなって。その頃には新車も視野に入ってて。1.5Lでナリに走る、なおかつMT車で、下げてもカッコいい、みたいな。この型のカタログカラ―がオレンジやってさ、見に行ったんやけどその時に黄色を見て、「ホットロッド的なカスタムしたらカッコいいんじゃないか」ってなって。


―――――僕が初めて会った時ってまだノーマルでしたよね?


そうそう。M&L partyの2回目かな。まだ買って半年も経ってないぐらいやと思うよ。

それからずいぶんとカスタムはしたかなぁ、今となっては。







「最初は今のスタイルじゃなくて、人と一緒に撮れたらいいなって。」


―――――そこから随分と経って。いまでこそランナバの中の人として精力的に活動してるワケですけども。そもそもカメラ活動を始めたキッカケっていうのは?


初っ端はさ、もともとヘラフラとか、タクティカルアートとかさ、あの辺の界隈の人が持ってはって。当時はEOS KISS X3かな。それで「こんなんが撮れるんだよ」っていうのを見せてもらって。今でこそ夜撮影しに行くとかは普通にあることなんやけど、あの人らは当時からそういう梅田で撮影やったりとか、「単焦点レンズを買ったんやで」とかの話が普通にあって。そういうのを見てキレイやなと思ったのもあるね。んで話とか聞いてたらクロニクルズとかの海外写真サイトもいっぱいあるんやって事を知って、「みんな海外とかでも発信してるんや」ってなって。

それと同時に向こう(アメリカ)の雑誌とかも見せてもらって、かわいいモデルさんと一緒に撮ってる写真があったりとかして。それも日本車と一緒に写ってたりとかして。日本車なワケやから、こっち(日本)でも発信できたら面白いんじゃないかなってずっと思ってて、結局思ったまま2,3年経ったって感じかな。


―――――その頃ってまだまだ一眼レフ持ってる人間が珍しい時代ですよね。


そうそう。俺が20,21くらいの頃やからね。2011年とかそれぐらいやからね。

まだ海外のサイトもそんなに知られてなくて、キャナイビートとかスタンスネーションとかそれぐらいしかなくて。ヘラフラ関西とかがやっとあるぞ、ぐらいの時代よね。


―――――カメラを買うキッカケになった出来事はアレですよね。


そうそう、アレ(笑)。ゴンちゃんがいきなり「高雄で集まりあるんですけどよかったら来ませんか」っていうね。行ったらカメラ使ってはる人がおって、自分を撮ってもらって。

その時に単純に撮ってもらってすごく嬉しくて、その時に「皆(撮ってもらったら)嬉しいんじゃないかな」って思ったのが最初かな。だから最初は今のスタイルじゃなくて、人と一緒に撮れたらいいなって。









というわけで、Part 1ではけんけん氏のキッカケやバイオグラフィについて語って頂いた。

Part.2では、RUNABOUT HEROESの始まりや変遷についてを掲載する。




Text: Yuto "GONTA" Ikeda
Photo: Yuto "GONTA" Ikeda, RUNABOUT HEROES

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